神在祭4

昭和初期露店の様子2

昭和初期参道の様子

止神送(しわがみおくり)神事
 25日の神等去出神事が終わると長く厳しかった物忌みが終わります。しかし、これで全ての祭が終わったわけではありません。30日には神等去出神事でお帰りにならなかった神々をお送りする止神送神事を行います。これは古い時代に神送を晦日に行っていた名残ではないかとされています。昔は社人が梅の若枝を持ち地面を叩き「お立ち、お立ち」と叫んだといいますがいまは中絶しています。25日の祭と同様の祭を行いますが、この日だけは神ノ目山から帰る時に決して振り返ってはいけないとされています。
 30日の止神送神事の後、神ノ目山の祭場から返る時に柴刺(しばさし)神事を行います。この神事は元々21日或いは24日に当社神領内附属地28箇所に社人が世襲で受け持っていた場所へ土幣を挿したと云うものだったのですが現在は数箇所しか残っておらず、日にちも止神送の後、帰社する途中に行っています。これは元々神々が来臨している聖域であることを示す目印ではなかったかと考えられています。

神在裏月祭(じんざいうらつきさい)
 当社では神無月と同様の祭を卯月行っていました。これを神在裏月祭と云い、現在は陽暦5月に行います。11月の神在祭と同様の祭を行いますが神職のみで祭に奉仕します。
このように当社に伝わる神在祭は古儀の様式を残し且つ、年に2度の神在祭を行うことなど他社には無い特筆すべき事象が数多くあります。
ところでなぜ年間二度もの神在祭を行うのかについてですが、古い祭の形態で、御霊を祀る盆・正月、水無月・師走の大祓などと同義という説もありますが定かではありません。
なお、明応二年(1493年)の佐陀大社縁起によると「(陰暦)10月に八百万の神々が当社に御参集になるので伊勢・住吉の両神だけは留まって国家をお守りになる。(陰暦)4月にこの両神が当社に御参集になるので毎年二度神在祭がある。」とされています。また、ご参集になるのは鹿島・香取の両神で、祭りの間当社の摂社田中神社においでになるという社伝もあります。

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神在祭の初見は?


神在祭の初見