神在餅についての記述【嬉遊笑覧】

[嬉遊笑覧] 十 上 善哉餅 汁こ餅等 喜多村信節撰 

 又江戸にて今自在餅といふは飴を餅の上に付たればあんころ餅のおおきなるなり祇園物語又出雲國に神在もちひと申事あり京にてぜんざいもちひと申ハ是申あやまるにや十月には日本國の諸神みな出雲国に集り給ふ故に神在と申なり其祭に赤小豆を煮て汁をおほくしすこし餅を入て節々まつり候を神在もちひと申よし云々いへり粉の此事懐橘談大社のことをかける條にも云
 されと犬筑波集に出雲への留主もれ宿のふくの神とあれば古きいひ習わしと見ゆまた神在餅は善哉餅の訛りにてやがて神無月の説に附會したるにや尺素往来に新年の善哉ハ是修正之祝着也とあり年の初めに餅を祝ふことと聞ゆ善哉は佛語にてよろこぶ意あるよう取たるべし

 訳
 また、江戸で今頃、自在餅と言っているのは、飴を餅の上につけて、あんころ餅のような大きさになるものを云っている。祇園物語に書いてあったり、出雲国では神在餅と人がいったりする物があり、京都で云うところのぜんざい餅だといわれているがこれは誤りではないか。
 十月には、日本国中の諸々の神さまが出雲国に集まられるから、出雲国では神在と云っている。その祭の時に、赤小豆を煮て、汁を多く入れ、餅を少し入れて、折々に祀ることから神在餅と人々は云うようになったのだなどと云われている。この事は、「懐橘談」の大社の事を書いている所にも書かれてある。 しかし、「犬筑波集」に{出雲への 留主((るす) カ)もれ宿の ふくの神}と句があるから、古くからの言い習わしだと思われる(○注ここでは餅のことではなく、出雲国へ諸神が集まられると云うことが古くからの伝承だといっているのみ)
神在餅は、善哉餅が訛ったのだと云われ、そのうち神無月(神在月)の説にこじつけられたのではないか。
「尺素往来」に、新年の善哉はこれらが修正されて成立したのではないかと書かれている。


古文献に見る神在餅についての記述【その他】