神在祭

神在祭(お忌さん)


 

 旧暦10月のころになると出雲地方では八百万の神々がお集まりになる神在祭がいくつかの神社で執り行われます。その中でも佐太神社の神在祭は文献上もっとも古くから執り行われており、且つ祭の次第も約500年前の記録とほぼ同じ内容で執り行われています。

 他では祭の内容が著しく変化したり、わからなくなったものもあるようですが今も変わらず『いにしえの祭り』を受け伝えている点で宗教学・民俗学等からも注目されています。

 


神在祭参拝者 現代

神在祭 参道の様子

神在月(かみありづき)の由来

 

 


 一般に陰暦10月を神無月(かんなづき)と云いますが出雲國では神在月(かみありづき)と申します。古来諸説、俗説多くありますが、神在はジンザイと読み、鎮齋(ちんさい)すなわち「忌(いみ)」の意味で新嘗祭(にいなめさい)に関係を持っていると思われます。新嘗には斎戒を厳重に行う風俗があり、新穀を神に献ずる祭を相新嘗(あいにいなめ)といって10月に行っていました。大宝律令が制定されると伊勢神宮だけは尊崇のため祭を繰り上げて9月に行い、その他は繰り下げて11月に行った為10月は祭りが少ない月、すなわち「神無月」となったのです。しかし、出雲國では依然として10月に新穀を献ずる新嘗の祭が行われ、また、風土記に載る意宇(おう)、秋鹿(あいか)、楯縫(たてぬい)、出雲の神名火・神名樋山(かんなびやま)に神々が去来するというカンナビ信仰が結びつき出雲國特有の祭として残ったと考えられています。中世になるとに諸国の神々は出雲國お集まりになるという伝承が生まれ、出雲國では「神在月」と云うようになりました。

 

神送り

昭和40年頃 神等去出神事

物忌みの祭
 神在祭は「お忌さん(おいみさん)」と呼ばれ、祭の期間中は、歌舞音曲、喧騒、造作等も慎む禁忌の祭でした。記録に残るところ祭は陰暦10月11日から25日までの15日間行い11日から17日までが上忌で準備期間としての散祭(あらいみ)、18日から25日までが下忌で致祭(まいみ)とされ下忌の方が重儀で18日に神迎神事を行い境内に注連縄(しめなわ)を引き渡すと25日の神等去出(からさで)神事が終わるまで謹慎斎戒に服しました。
 厳重な物忌みの祭であった為、時代が下ると間に中根(なかね)と呼ぶ緩和日を3日間設け、斎戒を解いたのでした。この当時佐陀大社は八百万(やおよろず)の神々の母神である伊弉冉尊の大元の社で、その背後の山に陵墓を祀っていると伝えていました。陰暦十月は伊弉冉尊(いざなみのみこと)が神去りました月であるという卜部(うらべ)家又は陰陽道の説により、八百万の神々は毎年この月になると当社にお集まりになり母神を偲ばれるのだとされ、この祭りを「お忌祭」と呼び、中根を中陰の意味としました。そして明治30年頃より陰暦10月を陽暦11月に改め上忌が無くなり下忌のみを執行することになり現在にいたっています。
 
祭日 新暦11月20日〜25日 【20日午後8時神迎え神事 25日 午後8時 神等去出神事(神送り)】
 八百万の神々は出雲大社にお立ち寄りになった後当社においでになるという伝承がありますが、これは出雲大社では上忌が残り、当社は下忌が残った為に生まれた誤伝
です。

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古文献にみる神在餅についての記述【雲陽誌】
神在祭2